1985年、チベットのラサの空港に
期待と緊張を胸に秘めた日本人の男がいた。
日中友好綿羊視察団に参加した箕輪昌志だった。
個人でチベットに入るのは困難な時代だった。
当時、徳間書店、学習研究社、芸文社、内外出版社、毎日新聞社、
文化放送ブレーン、日刊スポーツ出版社などの
エディトリアルデザインの仕事をさせていただいていた中に、
農業の雑誌があり、それが縁だった。
26歳でフリーのデザイナーになり、天職と思い、
一途にデザインと闘っていたが、
30歳の時、アメリカ横断を決意。
デザイン修行という名目だが、
実際には放浪の旅だった。
帰国後、事務所を設立。
マサデザインとして活躍。
少しのブランクはデザイナーにとって
むしろ新たな活力となった。
そして、チベットへ。
未来があることを信じて疑わない強い意志。
仕事人としての限りない可能性。
それは新たな挑戦の始まりであり、
アートディレクターへの道を加速させた。
箕輪昌志の真摯な、
極めて純度の高い
チャレンジング・スピリットである。